AI との会議議事録

なぜ日米の油濁補償制度は分かれたのか

CLC体制への日本の1975年批准と、Exxon Valdez号事故後に形成された米国独自モデル

油濁民事責任条約(CLC)体制は、1967年のTorrey Canyon号事故を直接の契機として整備されたものであり、当該事故が露呈させた「油濁被害に対する国際的な責任・補償ルールの欠如」に対応するため、1969年に国際条約として採択された。その後、日本を含む多くの沿岸国は、この国際的枠組みを受け入れ、日本は1975年に1969年CLCを批准し、さらに1992年議定書を通じて現在のCLC体制へと発展的に参加してきた。

一方で、米国はこのCLC体制に参加せず、1969年条約および1992年条約のいずれについても批准しなかった。仮に米国がCLCを批准していた場合、1989年のExxon Valdez号事故に際して、船主の厳格責任、強制保険制度、保険者に対する直接請求権、さらには国際基金による上積み補償といった点において、一定程度の恩恵を受けた可能性が高い。

もっとも、Exxon Valdez号事故を通じて米国が強く問題視したのは、単なる賠償資力の確保にとどまらず、事故発生直後に政府自らが主導して対応できる体制の欠如や、自然資源そのものの損害(Natural Resource Damages)を包括的に評価・回復する制度が存在しなかった点であった。このような問題意識は、CLC体制が本来想定している「国際的な賠償・補償の枠組み」だけでは十分に対応しきれない領域に属しており、これが結果として、米国独自の国内法であるOil Pollution Act of 1990(OPA90)の制定へとつながったと理解するのが相当である。

これに対し、日本はTorrey Canyon 号事故後の早い段階でCLCを批准し、国際条約に基づく責任・補償体制の構築と強化を通じて油濁リスクに対応する道を選択してきた。この選択の違いは、Exxon Valdez 号事故後に米国が国内法主導の制度へ大きく舵を切ったのとは対照的であり、両国の油濁補償制度の構造的差異を理解する上で重要な歴史的背景となっている。